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同人と企業

記事番号:527
投稿者名:kita
投稿日時:2003/07/15(火) 01:03:44
今は昔、北杜夫が青年だった頃、純文学での切り分けはこんな感じだったらしいっす。
("純"文学ってえ言い方、特権的でやだねえー(笑) 俺は"不純"だから、どっちもノープロブレムよ。)

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たまたま山名沢湖さんのサイトを見たら、いよいよ講談社がコミックマーケットに参入するのですね。
http://www.imix.or.jp/sawako/    もうしてたのか?俺が知らないだけなのか?
まあ、講談社はアグレッシブなので(特に青年マンガ誌『アフタヌーン』は)非難はしないけど、
大手がやると「出版って何」という疑問…じゃないっすね。イチャモンです…がわき上がる訳です。

「好きで描いている」人々と、「クライアントの制約をバネとして描いている」人々は、おカネを払う
"だけ"の人間にとっては等価ですが、…そうじゃあないだろう。

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クラシック音楽の三大市場はロンドン、ニューヨーク、トーキョーらしいですが、そうやってきてもう四十年、
トーキョーのクラシック音楽で何が「成長して・成熟して」いる?
消費し、批評し、とりあえず味見したあげく、次の流行を待ち望んでいるだけじゃあないか。主流か突然変異しか追わない。
芽がなかった訳ではない。たとえば萩元晴彦のカザルスホールはそこに反旗を翻し「育てる・楽しむ」と
「商業的に成功する」との接点を企てたが、バブル崩壊と本人の死去でそれは費えた。

※私が十年以上通っている東京都交響楽団は、常任指揮者が変わってからアンサンブルの強度が飛躍的に
向上しましたが、それは伝統ではなくて指揮者が去れば元に戻る性質のもの、これを成熟とは言わない。

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私ゃ同人作家の心理は推測できませんが、
たとえば、ファンレター一本に対する「読み方」からして違ってくるでしょう。
自由なのか不自由なのか、それは分からん。でも「読んでもらう」という意識の性質がそもそも違う以上、
同じものではあり得ない。

これ以上は考えてないので「北斎漫画」よろしくケツまくって逃げますが、
「それは自分で首締めるだろう、担当の小遣い稼ぎにはなるけど、雑誌の宣伝効果はゼロだね。むしろ
マイナスかもね」
というのは出版社全体に対して言いたいことです。



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いやー、木尾士目『げんしけん』#2を読んだ勢いかもしれないけど、そう思う訳です。
マイノリティーを知らない訳じゃない。大学生の頃は同好会「野鳥の会」にいましたが、
バードウォッチングがブレークする少し前で、双眼鏡を下げているだけで「何を覗いているのですか」
と聞かれたことは多々あります。(覗いている、という言い回しも随分礼を失しているが)
そこで「鳥を見てます」というと「こいつ、キ印か」=ゼニに換算できない行動をする人間は、すべて
無条件に社会から排除=という図式が「正統」だった頃を知っている、けど、今は果たしてなしくずし、
無批判に肯定、でいいのだろうか、という気はしています。

以上、かなりキコシメシテ記述しておりますので、ご配慮頂ければ有り難く思います。了
…って、業務メールかよ!(ああすみません、もうやめます)

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