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ワタナベツネオって、スゴイね。
記事番号:909
投稿者名:kita
投稿日時:2004/07/12(月) 23:17:26
引用記事:900
自己レスですがよござんしょ(笑)。
「無礼なことを言うな。たかが選手が。」
新聞のコラムでこういう話を読んだ。
ヨーロッパ中世では、便器にまたがり用を足しながら謁見する習慣が一部の地域であったそうな。
これはどういうことかというと、
「見られても恥ずかしくない位、君の地位は低くて私は高い」
ということを示すためらしい。
要するに、相手を人間としてではなく犬猫イルカ(?)と同列に扱う=「人間性」を認めないことで、
自分の優位を示す行為だという。
コラムはここから「電車内で化粧する姿を見せられる不快感」に話題を展開するのだが、
ここではこの手法と渡辺を関連づける。
俺も大概自分を卑怯者だと思うが、渡辺は突き抜けている。
他者をおとしめることでしか自己表現できない卑しさ。
ほかの表現手段をもたない社会的未熟さ。
そして、そのことに無自覚である愚かさ。
肩書があるから従う人間もいるが、ただの老人に戻って死ぬとき、
彼はこの世の誰からも「どうか死なないでください」と言ってもらえない。
それは保証しよう。
…まあ、家族は違うだろうけどね。
なんにせよ渡辺は「家族にしか愛してもらえず、自分しか愛さない人間」
ということだ(哄笑)。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「無礼なことを言うな。たかが選手が。」
こう返そう。
「絶望して、死ね」
(シェークスピア『リチャード三世』)
…いやいや案外、三十年後も病院のベッドで管をいっぱい差し込まれながら
読売ジャイアンツのオーナーやってたりして。(アニメでよくある設定…プロ野球では現実)
※追記
連合のトップがコメント出した途端、金玉ちぢこまらせて穴にこもるんだから、
リチャード三世ではありえない。シェークスピアのリチャードは一種痛快な悪人だったが、
渡辺は悪人にすらなりきれない。滝沢馬琴描くところの網干左母二郎にすらなれない。
みっともねえよな(嘲)。まあ、前屈みになったこれが、等身大の読売巨人軍オーナーか(笑)。
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