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福岡OFF会で思ったこと

記事番号:212
投稿者名:kita
投稿日時:2001/02/18(日) 21:05:56
引用記事:202
精神的にちょっと余裕ができたkitaです。

レポートではなく、雑記を少々。
2月3日、岡野さんのアマチュア時代のあれこれを見せて頂きました。
冷静に見れば技術上優れたものがあるわけでもない(失礼)。
であるのに、この迫力は何なのだろう…
しばらく腕組みをしてじっと見ていました。

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描き手も読み手も16、7歳、互い歳相応のやりとりしかできなかったと思う。
しかし、そのやりとりの結果贈られた「モノ」が、時間を経た今も丁寧に保管され、存在する。
忘れていた、というケースや、思惑があって残されるケースもあるだろう。
しかし、そうではなく大事に扱われていたことは、一目見れば容易に想像できる。

それはすなわち、昔のちょっとした一言、見た、読んだときの気持ちが、その人のなかに、いまでも「たしかに」
残っている、ということでもある。

人と人との心のやりとりは、当事者にしか「見ることができない」ものだ。
しかし、第三者でも、そのときに残されたモノを見ることで(いや、モノとして残っているからこそ)、
それが一種の「力」として「見える」。
それが、迫力となって認識される。

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ホントのところはどうだか分かりませんし、詮索する気持ちもないのですが、
バスの中で私は勝手に上のようなことを考えていました。



花森安治という人が編集長をしていた「暮らしの手帖」という主婦向けの雑誌があります。
その冒頭は今も必ずこんな書き出しです。
(おぼえてないので意訳です要約ですスミマセン)

ここにかかれていることは、ほんの水ひとしずくです。
でも、それは、あなたのこころのそこにしみこみ、いつかあなたとあなたのくらしをかえていきます。
そんな雑誌でありたいと、いつもおもっています。

…こんなことまで連想すると行き過ぎですね(わはは)。

では。


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