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タイトル:Re*9:カレカノ。
投稿者 :たてにょん (http://www.sfc.keio.ac.jp/~lapis/)
投稿日時:1998/10/25(日) 03:44:44
引用記事:129
どーも、たてにょんですう。

〉〉  カレカノは、2話をみて、少し上昇の兆しあり、とみました(雪野役)。
〉3話を見ると、なんだか、演技というよりも
〉やはり演出に違和感がありました。
〉リズム感がわたしとはぜんぜん合わなくって…。
〉良い作品である、とは思うんですけれどね。

3話までは、あまり庵野演出っぽくも無かったんですよねえ。なんつーか、
「これってエヴァだよねえ」と言われそうな静止画とか特徴的なデザイン
だけ抜き出してきて、それ以外は全然らしくないというか。

4話は、庵野演出っぽいところが出ていて、僕は庵野さんの演出感覚は
とても好きなので、まあ、前の3話よりは好きになれたと思います。ただ、
「これがカレカノじゃなければ・・・」と考えてしまうのが、原作ファンの悲
しいところ。

〉〉インパクトありましたよね。冒頭3話。
〉〉雪野のキャラに自分を重ねた人って多いだろうなー。もう、あそこに、雪野の
〉〉魅力と作品の魅力が凝縮してる。あそこを作り込めなかったのなら、アニメ化で
〉〉押し出すのはどこなんだろう。
〉カレカノは 1巻まで、もしくは 2巻まで、と考えている人は結構いらっしゃるようですね。
〉確かに描くものが 1巻とそれ以降では変わってますから。

1話から3話(1巻収録分)は、これはこれで1作品として完結してます。4話から7話まで
の4話は、これまた4連作として完結しています。これに2巻巻末の番外編8話を加えた
部分は、作者が話数を数えて事前に完全にプロットを作っている(であろう)ことから、短編
モードの作品であったと言えるでしょう。

それに対して、3巻収録分以降は、長編モードに突入して、作品の呼吸(どこで盛り上げ、
どこで落とすか)のようなものが変わっているんですよね。長編モードの典型的な製作法と
しては、終わりの部分はもう決めていて、しかしその部分に持っていくまでにキャラクターを
自由に泳がせるというものがあります。序盤に大量にキャラクターを投入し、その成り行き
を描く、と。そうすることによって、いくらでも続けることが出来るし、逆にいつ何時でも収束に
向けた展開が出来ます。ということで、もちろん描かれるテーマもおのずと、短編的な作品
の持つものとは変わってきます。

ただ、津田雅美という作家は、とにかく完成度の高い短編(短編連作/短編的手法を使った
中篇も含む)を描ける人で、その完成度があまりにも高かったがゆえに、長編モードに入って
からのクオリティに差が出てしまったということは、あると思います。それに、短編で出発した
物語を長編にするのは、とてつもなく難しいと思いますし。(なぜなら、その短編が成功したの
は、短編自体が完結性の高い、それ自体で非常に面白いものだったわけで、それの続きを
書くというのは、常に蛇足に終わる可能性がつきまといます)

だから、テーマが変わったのも当然だし、1、2巻までという人がいるのも理解できるし、ただ、
3巻以降にもちゃんと根底にあるものはあるし、計算されていないかというとそんなことはない
けど、やっぱり2巻までに比べると、どうしても完成度という面で落ちてしまうのは仕方が無い
のかな、ということでしょうか。

〉終わりかた。
〉よくインタビューでは、津田先生は終わりまで考えてある、という
〉ようなお話をなさってますから、なにかあるのだろうな、とは思っています。
〉なにも無くても、卒業なりなんなり、ただ単に区切りを描いて終わるような、
〉「物語的には決着の着かない終わり」というのも、まあ、あるのかな、
〉とは思いますけれど。

いやー、終わらないとまずいですよ。というか、物語に決着がつかないのであれば、2巻以降は
蛇足になってしまいますから。それに、決着がつくとしても、1巻と同じような終わり方をするなら
ば、やはり蛇足ですね。それに、それが不可能であることは、もう幾度と無く本編で提示されて
ますね(今月号のLaLaにも、それを暗示するシーンがありました)。

そう。有馬の言う「終わらない悪夢」というのは、決して救済されえない、心理システムのような
ものの問題なわけですよ。で、1巻の終わりのように、「救済の繰り返し」を象徴する唯一性とし
ての出会い、としてそれを描くのは、プランとして極めて正しいもので、もしそうしないのであれ
ば、「決して救われないもの」としてしか、それは顕在しないんですよね。本当は、1巻の終わり
でも有馬の心は癒されていない。でも、その繰り返しでしか彼は生きられない。しかし、その
繰り返しを描く必要はない。その意味で、やっぱり1巻の終わり方は秀逸だったですよ。

つまり、もはやその「決して救われないもの、決して満たされることのないもの」を描かなければ
ならなくなったわけで、それはとても興味深いテーマではあるけど、反面、ちゃんと描くのはとて
も難しいわけで、しかも、救われないわけだから、最後に一旦破綻しなければならない。というか
破綻しないんだったら、はっきりいって続けた意味はないわけで。もしカレカノが本当に本当に
名作として完結するとしたら、その先にあるものを、描けたときではないかなとも思うわけです。

それにしても、僕がカレカノという作品に要求している水準はとても高いもので、別にこんなふう
に展開しなくても十分面白くなるだろうし、無難に終わるのだったら別にいくらでも終われると思う
んですが、ただ、とにかく長編になったからには、1巻の終わり以上のラストにならなかったら、そ
れは受け入れたくないなと。とにかく、それだけこの作品が好きなのです。

〉これは、わたしも思いましたですね。
〉その後、「夢の中へ」の BGMが盛り上がってきて
〉空気が広がる感じは気に入ったのですが、
〉基本的に演出に見るところがあまり無いような印象があります。

そうっすね。別に悪いところも無いんだけど、普通ですねえ。

〉Webぐるぐるしていると、演出を誉めている人が結構いらっしゃって
〉ビックリしたりしてますねー。

別に普通であることが悪いわけじゃなくて、原作が面白いわけだから、アニメにしても面白いで
すよね。それは。ただ、アニメとしての演出が面白いか、といわれると、クエスチョンマークが付く
ということで。これはもう、原作ファンの業みたいなもんですから(笑)

〉〉ところで、今日はストレスに耐えきれず、心のケアをしようと(笑)
〉〉コミックスを買った。(ヒーリング音楽は、OVA「ぼく地球」の、エンディング曲が
〉〉イチオシ。)「日向で昼寝」「ストロベリー・チョコレート」「薔薇科少年」
〉〉の三冊。ずーっと、落ち着いてから、読みたい、と思っていたのばかり。
〉〉これから、読みます!では。

えーっと、「ぼく地球」の曲は本当にどれもいいですね。ドラマアルバムも含めて
全部持ってますけど、はずれなしです。

〉# たてにょんさん、http://www.sfc.keio.ac.jp/~lapis/every/new.html の
〉# Last-modified 、ありがとうございますなのです。
〉# おかげで日記時間更新取得ページがうまく動作出来ましたです。
〉# GORRYさんからお願いがあったのでしょうか (汗;)

はい(^^)

さて、それでは失礼いたします。んでわ。

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