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コレクションは数えるものか測るものか

記事番号:981
投稿者名:kita
投稿日時:2005/03/16(水) 00:58:59
先日、CDラックを別の部屋に移しました。
いい棚卸の機会になりましたが、もはや枚数を数える気にはなりません。

本気になれば、学生時代に水鳥のカウント調査に使ったカウンターでカチカチやるのですが…
のべ10メートルですからね。何枚あるのですかね。マーラーとブルックナーは枚数が多過ぎて、
不織布+塩化ビニールの簡易ジャケットで圧縮してるので、もはやメートル/枚と換算はでけん。

JRの電車が一両20メートルで、その7人がけの座席が3.3メートルですから、ロングシート
一面にCDが並ぶ訳だ。

問題はそのうち2メートルが民族音楽、2.5メートルが現代音楽、0.5メートルがバッハ以前の
音楽で、そのほとんどが未開封、という点だ。(今ちょっと見てきて長さを確認した)
廃盤怖さにバブリー時代、アキバの中古CD屋でせっせと買い込んだ結末がこれですよ。
ラジオで聴いてオモロイと思ったものと、そこから派生するものだけ買ったんですけどね。
自分なりに絞ったはずなんですけどね。

まあ、CDは今後も絶対残るメディアだし、年取ってからでも音楽は聴けるのではあるが…

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そんなことを言いたいのではない。
棚卸をして、高橋裕治・アキ兄妹のCDがずいぶん(といっても5、6枚)出てきたからだ。

勿論、高橋裕治のゴルドベルクも発売後まもなく聴いた。
しかし、そのときはあまり感銘をうけなかった。

ここ三日ばかり聴き直したが、彼のバッハへのアプローチは、現代音楽に対するそれと全く同じだ。
おそらくクラシック畑純粋培養の人間には「妙な演奏」でしかないのだが。




今日はここまでにしますが、クセナキスと花森安治、プラス高橋アキをからめた三題噺にしようと
思っとります。
クセナキス好きです(苦笑)。いや、不快な音響だけど聴いたあと妙に残る、というこの矛盾がよい。


クセナキスは「暴力は正しい」…古代国家はどこでもそうだったのでしょうが…という“真実”を
二十世紀に移植してみせた人間で、高橋裕治とどこがクロスし、どこが相容れなかったのか、
そういうことも織り込みたい。

スンマセン、ひとりよがりで。はい。
では。

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ゴルドベルクを聴いてみる

記事番号:983
投稿者名:kita
投稿日時:2005/03/19(土) 03:53:52
引用記事:981
疲れたので酒をかっくらってます(なんで他人の臨時処理のケツを、2日も拭かにゃならんのだ)
つーことでヤツアタリ気味でかくのですが、高橋悠治のゴルドベルクは面白い。

これはですね、不協和音の世界に生きている人間が、意識的に平均律に合わせている演奏。
(レオンハルトという鍵盤楽器奏者が、平均律は飽き飽きした、と池袋の純正調のオルガンを
わざわざ選んだという話を昔きいた。そのオルガンはまだ故障中らしいが)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
高橋悠治のゴルドベルクには、主旋律が、ない。
すべての音がそれぞれの役割を「平等に」与えられている。
平等というと語弊があるだろう。
ひとつひとつの音が己の役割を果たそうとしている、という状況が、この記録(録音)にはある※。

まあそんなことは、ライナーノーツをよく読めばはっきりと書いてあるのだ。


高橋の文体は、花森安治を思い起こさせる。
花森という人間については雑誌編集者に質問するのがよい(知らない雑誌編集者はモグリだ)
『暮しの手帖』という雑誌の編集長だったのだが、都立三田図書館や江戸川区立小岩図書館に
一日こもって現物を読むのがよい。マイクロフィッシュでは得られない、手触りと視覚は重要だ。

花森はもう随分昔に戦死したが、高橋はまだ戦っている。非常に昭和的だが、いまだ戦っている。

えー、もういいかげんヨッパラッておりますが、ライナーノーツの最後の三行は、やっぱり
花森安治が『暮しの手帖』に書いたものを集めた『一銭五厘の旗』とラップして仕方がありません。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
クセナキス『ヘルマ Herma』は高橋アキの演奏で聴いた。初体験が生だったのは幸せだった。
クセナキスの音響(楽しくないから音楽ではない)は、録音ではギスギスした面しか残らない。

でも、ヘルマだけは美しいなあ。


この音響はですね、場所はどこでもいいけど風の強いある日、大きな木の根方に寝転がって
木漏れ日の動きを全身で感じ取る、そんな気持ちに変換できます。
いや、聴いた時は精神追い詰められて歪んでましたからアテになりませんが(笑)。
ただ、不協和音の美しさは、高橋アキの「ヘルマ」で教わりました。

ブルックナーにも不協和音が出てきますが、今風に言えば高橋兄妹とリンクを貼れるかも。
…無理かも。無理だろうなあ(笑)。でも根っこは近い。



なんでクセナキスが出てくるかというと、高橋兄妹とクセナキスは、兄は弟子、妹は演奏者、
ということで縁が深いから。もう眠いのでここまで。

※第26変装は顕著かと思ったが、聞き直してみるとそうでもないかも。

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Re:ゴルドベルクを聴いてみる

記事番号:984
投稿者名:おおいしげん (http://sowhat.magical.gr.jp/)
投稿日時:2005/03/20(日) 15:51:16
引用記事:983
〉これはですね、不協和音の世界に生きている人間が、意識的に平均律に合わせている演奏。
http://www.avexnet.or.jp/classics/artist/takahashi.htm

 あ〜、なるほど。
 私、いちばん最初にカール=リヒターのチェンバロ演奏(※)で覚え、次にグールドの55年盤、そして
マギー・コールというふうに進んだもので、高橋悠治の演奏を耳にしたときはびっくりしました。ぜんぜ
ん別物なのですもの。

 あの文章を花森安治に例えるというのも面白いです。短く朴訥な文体を繋いでいくのは、たしかに『暮
らしの手帖』だし(内容については読み込んでいないので論評を避けます)。

 ※注)おそらく史上もっとも「硬い」ゴルトベルク変奏曲。

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Re*2:ゴルドベルクを聴いてみる

記事番号:985
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2005/03/20(日) 22:59:42
引用記事:984
偉い人ほどの耳は持ち合わせていないので、茶々ですが。
まだ、ブリリアントのバッハ40枚組開封していません
…どころかそれより前に買ったミヨーの交響曲全集(CPO)すら開封していません。

それはさておき、ゴルドベルクはグールドの新録音は買って何回も聴いているのですが、
おそろしいことに最後まで聴いたことがありません。
この曲の当初の使用目的通り途中で寝てしまって…(爆)。
その前に何回か放送で聴いたゴルドベルクもことごとく聴いている途中で睡魔の前に沈んでます…。(爆)

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Re*3:ゴルドベルクを聴いてみる

記事番号:986
投稿者名:kita
投稿日時:2005/03/21(月) 00:57:51
引用記事:985
おお、酔っぱらって書き込んだのに二人も反応があったよ(笑)。
今日も酔っぱらってます(なぜかは後述)

で、まずおおいしさんからレス。
花森と高橋の共通点は「世の中にケンカを売っている」その立ち位置が近い、という点です。
当然代償を払う。その代償は“ウソをつく己を冷徹に記録せよ。己の真実を開示せよ”

『暮しの手帖』のある記事で、花森は「晴天の高空を飛ぶB29は美しかった」と書いています。
ニニンガシの計算上は『醜い、憎むべきもの』であるはずの敵に美しさを感じた。
なにがどうであれ、それは真実なのだ。
殺戮機械の持つ機能美を感じ取る感性は、
空襲後家族の亡骸を、棺桶を借り、焼く薪を調達して…棺桶はあとで返すのだ。
燃料を持っていかねば火葬もしてくれない…荼毘に附す、その一連の事実とは相容れない。

しかし、敵に美しさを感じた瞬間、それはまことに存在したことなのだ。
正しいか否かと問われれば、それはどちらも正しいのだ(この答えが許されない状況なら、地球は
ソ連が統一することになったろう)(米帝でもおなじか…ブッシュ=ベイダー卿やからな)

俺ぁ、単細胞は好かん。

花森は、
その矛盾が己の中にあった(ある)事実にもはや向き合おうとせず走る人々に我慢がならなかったのだ。
日々の暮し、それは当然の権利なのか?権利ならば代償が生じる。払う相手は誰だ?
自分たちの子供はそれらを知らない。しかし自分たちはすべて知っている。

だから最後まで、『君らは忘れたのか!』と形を変えても怒鳴り続けたのだ。

高橋はもっと冷静だ。怒ることはない。その代わり、アジアの諸事情を音にして提示する。
(おそらくそれが彼のやりたいこと。ゴルドベルクは変化球一球、伝えたいほんの一部)
それは日本のルールが効かない外に向かって発信するだけに、終わりが来ることのない作業。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
えー、次は鑑定士さんっす。
(こないだのOFF会で、やりとりが濃いと言われましたよ。エッヘン)


ミヨーっすか。さすがにそこまでは守備してないっす(苦笑)。

で、偉い人っつうーのはひょっとしてワタクシでしょうか(わはは)。
音楽教育は義務教育だけで、楽譜も読めない楽器も弾けない専門用語も知らない、
歌えないからオンチなのですが…


ゴルドベルクは寝ますね。てきめんに(笑)。でも高橋悠治の録音は妨害されます。
丹念に音を拾っていくと、なんかひっかかりがあるんです。



そういうことはイイのですよ。今日大植/大フィル、聴いてきました。
くっそー、明日は絶対仮病使えないから無理なんだけど、久しぶりにおっかけしたい気分です。
明日つくば公演なんだよ。八重洲からバスで一本なんだよ。ギーレン以来だから行きてえんだよ!
(だから今晩はヤケ酒です)
#客のインプットミスなのに、このオレサマにケツ拭きサセルナヨ!!うがー!!
録音が入っていたので、ポニーキャニオンかどこかで(マイク配置からしてフォンテックじゃない)
CDが出るでしょう。

第三楽章がですね、
ワタクシ土曜日に『ハウルの動く城』+川崎MUZAのオルガンと巡ってそのイメージを流用できた
せいかもしれませんが、ヤラレマシタ。
前半は、各パートの描く音が、あたかもアークのように弧を描いて雲海の上に交代で顔を出し
沈んでいくようでした。大植はとても耳がいい。パートのバランスはもう文句無し。
やっぱりオーケストラという楽器はとても色数の多いパレットで、「オケはいいねえ」
などと思っていたのが油断。余裕こいてたらトンデモナイことになりました。

太極拳を三月しかやっとらんでアレコレ言うのもナニですが、大植はサド氏やBBCのアンチャン
のように力づくでバッタバッタ投げ飛ばすようなタイプではありません。
力を抜くと人間どちらかの方向に倒れかかるものですが、その運動エネルギーを利用して、大植、
さらっと技をかけてきよった。

「お、大植の技が外れん!」
「くっそー、ついていくのが精一杯だぜ!快感やけど一方的にあしらわれるのはクソッタレや!」

「技が外れん。落ちる…」


まあ、ちょっと落ちたのですが(笑)。涙腺緩んだのは随分久しぶりでした。


真面目な話、今日の大フィルは集中していました。
何十年か後、私がボケていても、『大植が東京でやったマーラーの第六はねえ』と振ると
そのときだけ正気に戻ったりして(笑)。来年二月、聴きに行くことを決めました。

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Re*4:ゴルドベルクを聴いてみる

記事番号:987
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2005/03/22(火) 23:33:29
引用記事:986
茶々々。
〉ミヨーっすか。さすがにそこまでは守備してないっす(苦笑)。
ちょっとしか聴かないけれど、あのメロディは好き。

〉何十年か後、私がボケていても、『大植が東京でやったマーラーの第六はねえ』と振ると
〉そのときだけ正気に戻ったりして(笑)。来年二月、聴きに行くことを決めました。
来月の定期(ベートーヴェン7番)といずみホールシリーズ、
9月定期のマーラー3番、12月定期のトスカも来なさい。
チケットは早々に売りきれるから急いで押さえること。(命令調(笑))

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Re:ゴルドベルクを聴いてみる(悠治先生のお言葉)

記事番号:989
投稿者名:kita
投稿日時:2005/04/04(月) 00:36:21
引用記事:983
土曜日は用事を済ませ
日曜日は掃除に買い出し
毎週このくりかえし。ロシア民謡↓じゃあるまいし…
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/isshukan.html

ともあれ、今週も11時をまわったところでやっと片づきました。ということで少々。


4月1日、御喜美江というアコーディオン奏者の演奏会に行ったら、高橋悠治がついてきました。
彼はしゃべるのが好きなのでこの日もトークの時間がありましたが、食えねぇジイサンだぜ(笑)。
内容は結構面白かったです。放談というか好き放題しゃべっていました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
断片だけ書きます。

・コンサートというのは、プロモーターと楽譜出版社ともうひとつ(忘れました)が結託して
演奏家を搾取する仕組みだ。
(のっけから一発かましてくれました。この人のこれまでの行動は、この認識が根底にあっての
ものなのだろう)

・新しい音楽をやろうとすることは、生活を変える、ということ。
(…うーん、曲を書く人間やプレーヤーにとっては、そうかもしれない。聴き手にとっては、
時間内に=演奏終了までに彼らの意図にどこまで肉薄できるかという挑戦で、生活を変えるところ
まではいかないのだが)

・アコーディオンというのは新しい楽器だから、新しい音楽を進んで受け入ようという意識がある。
ピアノのように過去の音楽だけでコンサートが成立する楽器は、新しく書かれた曲を必要としない。
必然的にその演奏会、ひいてはプレーヤーの価値は「上手いか下手か」「ギャラが高いか安いか」
というモノサシで判定されるようになっていく。
(この考え方は面白い。いいところを突いていると思う。これが、彼がコンサート活動から離れた
理由のひとつなのだろう。)
(御喜美江が述べたことだが、アコーディオンという楽器は鍵盤式もあればタイプライターのような
ボタン式もあり、奏者がそれぞれ一番いいと思う楽器で演奏する。それが未完成というのなら
その通り、新しい楽器なのだろう)
(御喜美江が高橋に『でも、アコーディオンためのの曲は7,000を超えるのですが…』と水を向ける
と、センセイ、さっさと話題を変えました)

・CD『水牛のように』についてのコメント。4人のアコーディオン奏者の競作アルバムなのだが、
「これくらい違っていると、いいね」と一言。
http://www.suigyu.com/cd/sg007.html
(2年前に御喜が企画を持ちかけ、高橋は『反対しなかった』そうだ。ということは、いつもは何か
文句をつけるんだろうな)
(ということで、ぐるっとまわってゴルドベルクの解説に戻ってくる訳である)

21年目を迎える『東京の夏』音楽祭の一環として、7月25日築地の朝日ホールでシューベルトと
シューマンを弾くらしい。バッハのパルティータも一曲ある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


『水牛のように』という曲自体は聴きづらかったです。かなり頭を使って補完してやらねばならない
音楽。でも『谷間へおりてゆく』はとっつきやすかった。コンサート概説↓
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/clsc_01concert/145.html



御喜美江のなにを聴きたかったかというと、バッハのフランス組曲。この曲想はアコーディオンと
いう楽器の特性にぴったりで、夢を見ているかのような心地になれます。
このリンクは適当にみつけたもの。(CDジャーナルとは懐かしい)
http://www.cdjournal.com/main/artist/disc.php?ano=900108&dno=1297060037


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Re*2:ゴルドベルクを聴いてみる(悠治先生のお言葉)

記事番号:990
投稿者名:kita
投稿日時:2005/04/04(月) 00:48:49
引用記事:989
〉このリンクは適当にみつけたもの。(CDジャーナルとは懐かしい)
〉http://www.cdjournal.com/main/artist/disc.php?ano=900108&dno=1297060037
リンク貼ったけどひょっとして廃盤かい!これだからマイナーレーベルは…

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Re*2:ゴルドベルクを聴いてみる(悠治先生のお言葉)

記事番号:991
投稿者名:kita
投稿日時:2005/04/04(月) 01:08:16
引用記事:989
〉必然的にその演奏会、ひいてはプレーヤーの価値は「上手いか下手か」「ギャラが高いか安いか」
〉というモノサシで判定されるようになっていく。
要するに『等価でなくなるように仕向けている』ということなのですが、
たぶんそこに怒りの矛先が向いているのだと思う。

おそらく対象はプレーヤーという個人ですらない。
その育った環境(自然、風土、言葉、などなど)にモノサシを置くべきで、
その限りでプレーヤーは平等=等価である、ということなんだろう。


そう考えていくと、CDの分野ではNAXOSはかなりそれに沿っていて、
たとえばベトナム出身でフランスで音楽教育を受けた人たちの演奏、というのは
とても特色があって私は好きなのだが、それを廉価盤だからといって軽んじるのはアカンよ、
ということなのだろうか?

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大フィル東京定期

記事番号:1012
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2005/08/22(月) 22:26:28
引用記事:986
〉何十年か後、私がボケていても、『大植が東京でやったマーラーの第六はねえ』と振ると
〉そのときだけ正気に戻ったりして(笑)。来年二月、聴きに行くことを決めました。

大フィル正会員のサイトより。東京定期の予定。曲目は2月定期と同じ。
2月14日(火)19:00 サントリーホール
(ブルックナー7番、その前に武満「ノスタルジア」(Vn 長原 幸太))

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Re:大フィル東京定期

記事番号:1013
投稿者名:kita
投稿日時:2005/08/22(月) 23:56:22
引用記事:1012
〉〉何十年か後、私がボケていても、『大植が東京でやったマーラーの第六はねえ』と振ると
〉〉そのときだけ正気に戻ったりして(笑)。来年二月、聴きに行くことを決めました。
〉
〉大フィル正会員のサイトより。東京定期の予定。曲目は2月定期と同じ。
〉2月14日(火)19:00 サントリーホール
〉(ブルックナー7番、その前に武満「ノスタルジア」(Vn 長原 幸太))

うわ。すっかり忘れていました(笑)。チェックしときまーす。ありがとうございます。

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Re*2:大フィル東京定期

記事番号:1015
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2005/08/23(火) 22:42:43
引用記事:1013
〉〉大フィル正会員のサイトより。東京定期の予定。曲目は2月定期と同じ。
〉〉2月14日(火)19:00 サントリーホール
〉〉(ブルックナー7番、その前に武満「ノスタルジア」(Vn 長原 幸太))
〉
〉うわ。すっかり忘れていました(笑)。チェックしときまーす。ありがとうございます。
版は書いてありませんが間違いなくハース版でしょう。
来月の大植英次/大阪フィルは青少年コンサート(「ボレロ」「ローマの松」他)とマーラーの3番が控えてます。

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ハノーファー北ドイツ放送 (Re:大フィル東京定期)

記事番号:1047
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2006/02/08(水) 22:19:13
引用記事:1013
〉〉大フィル正会員のサイトより。東京定期の予定。曲目は2月定期と同じ。
〉〉2月14日(火)19:00 サントリーホール
〉〉(ブルックナー7番、その前に武満「ノスタルジア」(Vn 長原 幸太))
〉
〉うわ。すっかり忘れていました(笑)。チェックしときまーす。ありがとうございます。

これも貼って釣っておきます。
http://jad.fujitsu.com/event/2006/hannover/

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Re:ハノーファー北ドイツ放送 (Re:大フィル東京定期)

記事番号:1048
投稿者名:kita
投稿日時:2006/02/28(火) 23:28:14
引用記事:1047
東伏見にホッケーを見に行ったのがトドメとなり体バリバリ、週2回鍼治療してます。トホホ…
パソコンに向かえるまでに復旧したので少し。

〉これも貼って釣っておきます。
〉http://jad.fujitsu.com/event/2006/hannover/

サントリーホールで先行予約のチラシを配っていたので『ワルキューレ』第1幕に1票。
バックステージ席なので歌手の声など聴こえはしませんが、そこそこ頭に入ってるので
CDのブックレットを持っていけばなんとかなるかな。

漫画家のあずみ涼も書いてますが、『ワルキューレ』は切ないねえ。
私ゃここで涙ホーハイとなって、『神々の黄昏』まで進めません(苦笑)。
最近文庫版が復活しました
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062568705/ref=lm_lb_24/249-7430782-9020340
底本はショルティ版についてる翻訳ですが、あずみ訳の方が的確なところがあちこちにあります。





大植のブルックナーは、一言でいえば「絵画的」だった。
もうほんの少しで、非常にリアルなイメージを記憶の底からサルベージできそうな、
そんな気持ちになる第2楽章。

(しかし、たかだか20分でそこまでできる人間は、40パーセントの確率で18ヶ月以内に
 発狂するだろう。メールストロームの中心を見ることができるのは、幸せでない状況証拠だ)

第4楽章が第2楽章と対になっている、ということが、この演奏で初めて腑に落ちました。
いくつになっても勉強の日々です(笑)。
この日は第2楽章と第4楽章が私にとってのすべて。



それはともかく、
ホルンは大フィルとしては普通の出来でしょうが、都響会員からすると「すばらしい!」
それにひきかえ、ワーグナーチューバおよび、トランペットのソロは頂けませんでした。
キャニオンが(マイクセッティングから判定)録音しているのに、これでお金取れるかな?

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Re*2:ハノーファー北ドイツ放送 (Re:大フィル東京定期)

記事番号:1049
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2006/03/02(木) 20:19:58
引用記事:1048
1月は東フィルの「森の歌」を聴きに遠征しました。

〉〉これも貼って釣っておきます。
〉〉http://jad.fujitsu.com/event/2006/hannover/
〉
〉サントリーホールで先行予約のチラシを配っていたので『ワルキューレ』第1幕に1票。
大阪のワルキューレと三重の運命&田園に行きます。

〉漫画家のあずみ涼も書いてますが、『ワルキューレ』は切ないねえ。
漫画の4冊セットはしっかり買っているといえよう。

〉第4楽章が第2楽章と対になっている、ということが、この演奏で初めて腑に落ちました。
う、生で5回以上聴いているのに、全然わからない…。

大阪で聴きましたが、第2楽章のピークでパーカッション3点セットを導入したハース版とは驚愕でした。
パーカッションの有無以外の違いなんか、私は知りませんよ。

〉ホルンは大フィルとしては普通の出来でしょうが、都響会員からすると「すばらしい!」
いや、金管が伝統的に弱いので良かったと思います。

〉それにひきかえ、ワーグナーチューバおよび、トランペットのソロは頂けませんでした。
〉キャニオンが(マイクセッティングから判定)録音しているのに、これでお金取れるかな?
フォンテックのような気もしますが、大阪でもマイクを下げていたので大丈夫でしょう。

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