【 フリートーク(なんでもあり) 】 |
fumica.com - communication space |
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:897
投稿者名:kita
投稿日時:2004/03/09(火) 22:43:03
えー、この手の書き込みをするときは必ず飲んでます。kitaっす。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
たまたま早く帰ってきて、たまたまラジオをつけたらやっていた。
南ドイツのザールブリュッケン放送交響楽団、指揮は「すたにすらふ・すくろばちぇふすきー」
(初見で音読できたら大したもんだ)
いつも思うが、録音を聴くならラジオのライブが一番だ。色香はともかく、鮮度は十分味わえる
(色香を再現するには相当ライブに通って、雰囲気に関する脳内復元能力を身につけねばならぬ)
しかし、整音されたCDになると、どうして香りも鮮度もとんでしまうのか…聴いていて思ったが、
「弱音のニュアンス」に原因のひとつがあるのではないか、と思った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今晩の演奏は生で聴いたのだが、全く別の演奏として聴いてしまう。
第二楽章の音色の重ね具合(=色の重ね具合、と絵の世界を連想してくれてもいい)が白眉。
はっ、とする一瞬がある。
この指揮者の表現は「普通」から少しズレたところにある。
読響との第九交響曲では「世界の全ては意志でコントロールできる」という考え方だったのを
第四楽章でやっと補足でき、そこで始めて、それまでの妙なテンポ、息づかいが腑に落ちた
とう経験がある。
(クラシック音楽の敷居は高い、と言われるのは、この解析をリアルタイムで行わねば、作曲家や
演奏家の意図に近づけないところにある)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
しかし今回はかなり自由だった。息づかい…世界の音…を聴く、それが主題だった。
結構軟弱なブルックナーではあったが。と書くとミスターSの信者からはバッシングだなあ。
(しかし俺は鳥を見に稚内から羅臼から母島から西表まで行った男で、ブルックナーの見た世界を
ちっとばかしだが(笑)知ってるつもりだ、許してくれ)
人間個々が違うのと同じことなのだが。
ギュンター・ヴァントがやはりこのホールでやったときのように、音響から変換された視覚イメージ
が次から次に押し寄せ、こちらはそれを自分のものとして取り込むのに手一杯、というものとは
全く違って、
「ああこの人はこの世界(地球、といえばイメージがわくかもしれない)をこのように捉えているのだ」
「おそらくどこかで完全に人間に絶望しているけど、しかしそれでも人間が好きなのだ※」
絵と音楽は、乱暴に言ってしまえば同じものだと思う。
音楽は一期一会、こちらが努力して記憶せねば消えてしまう、という(決定的な)違いがあるだけ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
会場は新宿・初台の東京オペラシティ。
このホールの響きは都内一番。特に客が入ってないときがいい(苦笑)。
二月二十七日の『モリムール』は、演奏はそこそこだったが、響きで聴かせてくれた。
※マーラーは全く逆で、人間が好きで好きでたまらないけど、でも人間に絶望している。
えーいもうやぶれかぶれだ。スンマセン、酔っぱらいです(と言えば許されるとは思ってないけど)
投稿。
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
Re:今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:904
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2004/07/10(土) 00:47:24
引用記事:897
超遅いフォローですが、
〉たまたま早く帰ってきて、たまたまラジオをつけたらやっていた。
〉南ドイツのザールブリュッケン放送交響楽団、指揮は「すたにすらふ・すくろばちぇふすきー」
〉この指揮者の表現は「普通」から少しズレたところにある。
〉読響との第九交響曲では「世界の全ては意志でコントロールできる」という考え方だったのを
〉第四楽章でやっと補足でき、そこで始めて、それまでの妙なテンポ、息づかいが腑に落ちた
〉とう経験がある。
〉(クラシック音楽の敷居は高い、と言われるのは、この解析をリアルタイムで行わねば、作曲家や
〉演奏家の意図に近づけないところにある)
といった境地には到底達せませんが、
7/9に大植英次/大阪フィルでこのブルックナーの第八交響曲(ハース版)を聴いてきたので。
今日は大阪フィルの創立者、先代音楽監督の朝比奈隆の96回目の生誕の日。
朝比奈隆の武骨で不器用な指揮とは正反対の華麗な響きで、安定感のあるクリアな感じといいますか。
新生2年目の大フィルと大植英次の時代を告げるに象徴的な感じでした。
反面本当の本当に朝比奈さんはもう聴けへんのやね、という寂寥感も。
ホール全体に包まれる様な音を出せる、
人格とホールが共鳴する指揮者はあとにもさきにも朝比奈隆ただ一人だったのだな、と。
ちなみに4月のNHK交響楽団の京都公演でスタニスラフ・スクロヴァチェフスキーの
ベートーヴェンを聴いてきました。この人は作曲家でもあり現代音楽にも定評のある人で
その傾向が爆発したヴァイオリン協奏曲と、激速の交響曲第5番もなかなか楽しかったです。
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
Re*2:今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:905
投稿者名:kita
投稿日時:2004/07/11(日) 18:54:15
引用記事:904
〉7/9に大植英次/大阪フィルでこのブルックナーの第八交響曲(ハース版)を聴いてきたので。
〉今日は大阪フィルの創立者、先代音楽監督の朝比奈隆の96回目の生誕の日。
この日は3階LEE4で聴いてました。
直前に当日は朝比奈の誕生日と知って、過激ファンが玉子投げないかと心配(期待?)して
臨みましたが、そんなことはなかったですね。満員の聴衆“全員”が、オケに投ずる集中力。
これは東京ではあまりみられないことです。
女性にブルックナーは向かない、という偏見を持ってますが、両隣の女性は集中してました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
レスつける前に、私の所感を書きます(スミマセン)。
伊丹で時間待ちしている間に書き留めたメモをベースにしています。
総括:朝比奈はオケの音色の中に生きている。
1.オーケストラとホール
音のブレンドが印象的だった。貧困な語彙ではブレンド、としか表現できない。
これは東京のオケでは瞬間にしか出ない、ASAHINAの音色だと思う。
録音では決して拾えない、ブルックナーにおけるパート間の絶妙の音量調整。
特に第1、第2楽章。
ワーグナーチューバはイマイチだったが、オケ全体の押し出しは十分迫力あり。
木管はもう少し表現の幅を持っていてもよいと思う。
アンサンブルは意外に(失礼)良かった。ホールが小さい分、音量に関係する技量に
神経を使う必要がないから、かもしれない。
(これは「多分」の世界なのだが、大フィルが朝比奈と演奏するときは、
自主的に指揮者を補って音楽を作る部分がかなりあったと思う)
東京でいい演奏ができなかった(少なくとも都響では)、という事実を思い起こすと、
オケの尽力に目が向く。晩年の朝比奈がアンサンブルをオケに委ねていたのは事実で、
それはすなわちコンマスがブルックナーに理解を示すかどうか、にかかっっていた。
それが都響では、ジャービスが亡くなってから山本がくるまでの間、できなかった。
このホール、このオケでこの曲を聴き、改めてそう思った。
しかし一年くらいのトレーニングでは、あそらく合奏能力は向上しない…
都響もそうだったので、来年はもっと表現力が豊かになると思う。
ホールはすごく(笑)小さい。東京文化会館並にデッドな残響。
しかしこの容積がブルックナー演奏には効果的だ。上に書いたように、ここなら
アンサンブルに集中できるかもしれない。
もしかして、ザ・シンフォニーホールはブルックナー専用ホールかもしれない(笑)。
天井が一部妙に高いところは、ゴシック教会のように音が天上から降ってくるように
設計したのかもしれない(そうなのかどうかは知らない)。
大フィルとホールは、セットになって初めて実力を発揮する。
他のホールでは魅力を出し切れない、と見受ける。
2.大植の指揮
物語性をもたせようとしていた。
物語といっても、イタリアオペラのような「その場の感興まずありき」ではなく、
「こう感じたら次はこう動くだろう」という、ある程度理屈に沿った音楽を
構成したかったようだ。
私自身は、そんなことをしなくてもブルックナーは成立する…
受け止めるものではなく、各々が己の心を探るのがこの作曲家に相対する方法だ、
と思っているので…アプローチ自体に共感はしない。
しかし指揮者が何を狙うのか、それを把握できれば、その差し出される料理を
心から楽しむことができる。
特に第三楽章、山場の徐々に大きくなるコラール、これは、
あまりいいたとえではないが、能楽で俯いていたシテが徐々におもてを上げる、
その感覚を、背中に「ぞくっ」と走るものを感じながら聴いた。
第四楽章は物語らずとも面白いのだが(笑)、大植としてはアクセル・ブレーキを
踏みたくなるのが人情。やってるやってる、と思いながら聴いていた。
3.その他もろもろ
終演後の喫茶コーナーでテイクアウトパンと称し、ロールパンを何個かひとまとめ
にして五百円で売っていたのが飛ぶようにはけていた。なんだったのだろう?
大植のポスターを五百円で売っていたのは分かるのだが…
クロークのお姉さんがやたら(無意味に)愛想がいいことといい、関西的だった。
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
Re*3:今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:906
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2004/07/11(日) 20:07:29
引用記事:905
つまみ食いフォローしか出来ないのですが。
〉〉7/9に大植英次/大阪フィルでこのブルックナーの第八交響曲(ハース版)を聴いてきたので。
〉〉今日は大阪フィルの創立者、先代音楽監督の朝比奈隆の96回目の生誕の日。
〉
〉この日は3階LEE4で聴いてました。
ということは私の対面ですか…というか来てらしたのですな。
〉直前に当日は朝比奈の誕生日と知って、過激ファンが玉子投げないかと心配(期待?)して
〉臨みましたが、そんなことはなかったですね。満員の聴衆“全員”が、オケに投ずる集中力。
大植さん就任前はネット上でいろいろ危険な発言もあったようですが、
いざ就任すると皆さん宗旨をかえられたのか雲散霧消してしまいました。(笑)
〉総括:朝比奈はオケの音色の中に生きている。
〉 (これは「多分」の世界なのだが、大フィルが朝比奈と演奏するときは、
〉 自主的に指揮者を補って音楽を作る部分がかなりあったと思う)
〉 オケの尽力に目が向く。晩年の朝比奈がアンサンブルをオケに委ねていたのは事実で、
〉 それはすなわちコンマスがブルックナーに理解を示すかどうか、にかかっっていた。
演奏の傷はともかく朝比奈流をわかって自主的にやっていたと思いますよ。
毎回ころころ、練習と本演奏でも変わったらしいテンポによくついていったものです。
まあ指揮者が元からプレイヤーに任せる人だったし、
私の指揮を見るから間違える、なんていう名言の持ち主でしたし。
今回のコンサートマスター氏が最晩年の朝比奈さんの指揮をずっと支えていました。
# その隣は古参のコンマス、その隣の第2ヴァイオリン首席は元コンマスで支えていましたね。
このお二人はもう定年でいらっしゃいません。
他の指揮者が振った時に比べて、コンサートマスター氏の動きが大変に大きく
「がんばってる、がんばってる」なんて見ていたものです。昨日もいつもより動きが大きかったです。
〉 ホールはすごく(笑)小さい。東京文化会館並にデッドな残響。
デッド…かな。延々20年「残響2秒」を謳ってるホール(笑)なんですけれどね。
昔の定期の本拠、フェスティバル・ホールがフライング・ブラヴォーも出ないほど
超デッドなので、随分雑音までよく響くホールだなと認識していました。
〉 もしかして、ザ・シンフォニーホールはブルックナー専用ホールかもしれない(笑)。
〉 天井が一部妙に高いところは、ゴシック教会のように音が天上から降ってくるように
〉 設計したのかもしれない(そうなのかどうかは知らない)。
サントリーと明らかに違うのは音が暖かいことかな…と思いますね。
〉2.大植の指揮
〉 私自身は、そんなことをしなくてもブルックナーは成立する…
〉 受け止めるものではなく、各々が己の心を探るのがこの作曲家に相対する方法だ、
〉 と思っているので…アプローチ自体に共感はしない。
ブルックナーの素材をそのまま使う指揮者と加工したくなる人といる中で確かに後者でした。
尾高、若杉の2人は意外にもというべきか、
大フィルではそれしかないと思ったのか素材系だった記憶があります。
〉 特に第三楽章、山場の徐々に大きくなるコラール、これは、
〉 あまりいいたとえではないが、能楽で俯いていたシテが徐々におもてを上げる、
〉 その感覚を、背中に「ぞくっ」と走るものを感じながら聴いた。
確かに下手すると退屈な第3楽章が最強だったかな、と。
シンバルとトライアングルの一撃までの盛り上がりは良かった。
〉 第四楽章は物語らずとも面白いのだが(笑)、大植としてはアクセル・ブレーキを
〉 踏みたくなるのが人情。やってるやってる、と思いながら聴いていた。
確かにいじってる感ありあり。
〉3.その他もろもろ
〉 終演後の喫茶コーナーでテイクアウトパンと称し、ロールパンを何個かひとまとめ
〉 にして五百円で売っていたのが飛ぶようにはけていた。なんだったのだろう?
わぁはははははははは、ぜぃぜぃ。(抱腹絶倒)
近所(とはいえ隣の尼崎らしい)の店屋が余りもんらしいのを売るんですな(何故かマチネーでも売る)。
能書きの割に美味いとは決して思わへんだから1回しか買うたことがないんやけれど、
これが何故かアホみたいに売れよる、売り切れる。
何でかわからへんけれど、大阪やのぅとは言えますわ。
〉 クロークのお姉さんがやたら(無意味に)愛想がいいことといい、関西的だった。
(バイト)係員の教育が悪いこと(杓子定規振りがすごい)では関西随一らしいですけれどね。
ここより悪いのは神戸のこくさいホールみたいな多目的なところだけで、
クラシック専用ホールでは多分ないんじゃないでしょうか。いずみや京都はもっといいですな。
何はともあれまた来てください。パンを買うのもお忘れなく(爆)。
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
Re*4:今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:907
投稿者名:kita
投稿日時:2004/07/11(日) 23:22:14
引用記事:906
あ、もうレスついてる(笑)。
箇条書きのメモは一見が感じたことなので、笑って読みとばしてください。
〉朝比奈隆の武骨で不器用な指揮とは正反対の華麗な響きで、安定感のあるクリアな感じといいますか。
〉新生2年目の大フィルと大植英次の時代を告げるに象徴的な感じでした。
〉反面本当の本当に朝比奈さんはもう聴けへんのやね、という寂寥感も。
〉ホール全体に包まれる様な音を出せる、
〉人格とホールが共鳴する指揮者はあとにもさきにも朝比奈隆ただ一人だったのだな、と。
もうああいう硬骨漢は出ないでしょうね。テクニックはないけど気持ちで聴き手の心をつかむ、
ってえタイプはメディアに珍重され=食いつぶされ、磨耗させられてしまう時代…なのかなあ。
〉〉直前に当日は朝比奈の誕生日と知って、過激ファンが玉子投げないかと心配(期待?)して
〉〉臨みましたが、そんなことはなかったですね。満員の聴衆“全員”が、オケに投ずる集中力。
〉大植さん就任前はネット上でいろいろ危険な発言もあったようですが、
〉いざ就任すると皆さん宗旨をかえられたのか雲散霧消してしまいました。(笑)
あ、そうだったんですか(笑)。
大フィルの聴き手は濃いというか深いというか、正統派の人が多いですね。年齢も高いし。
帰り道で周囲の会話をきくともなしにきいていて、そう思いました。
大阪シンフォニカーだとまた客層が全然違うんでしょうね。
〉私の指揮を見るから間違える、なんていう名言の持ち主でしたし。
都響のコンマス、矢部が初顔合わせのとき「意外に指揮がお上手ですね」と言い放ったのは知ってます。
それを気にするような人ではなかったし、事実、どこかのインタビューでもこのネタを自分で振ってました。
〉〉 ホールはすごく(笑)小さい。東京文化会館並にデッドな残響。
〉デッド…かな。延々20年「残響2秒」を謳ってるホール(笑)なんですけれどね。
いや、これは満員だったからだと思います。人がいなければ残響二秒いくでしょう。
ただ、東京には東京オペラシティ・タケミツメモリアルという涼やかな響きのホールとか、
紀尾井ホールや旧カザルスホールのように少人数向きのホールがあるし、そこと比べると…
という印象でした。何度か足を運んで慣れれば、また感覚が変わってくるのだろうと思います。
〉サントリーと明らかに違うのは音が暖かいことかな…と思いますね。
それは私もそう思いました。
ところで、京都のアルティは古楽系の演奏家が例外なく誉めるホールらしいですが、
やっぱ暖色系の響きなんですかねえ。一度聴きにいってみたいです。
〉ブルックナーの素材をそのまま使う指揮者と加工したくなる人といる中で確かに後者でした。
〉尾高、若杉の2人は意外にもというべきか、
〉大フィルではそれしかないと思ったのか素材系だった記憶があります。
これは好みの問題ですが、若杉の第二、第七は好きです。情緒的な曲は相性がいいみたい。
尾高は聴いたことないけど、高関よりはいいに違いない(笑)。高関はどうも自分とは合わないです。
〉〉 クロークのお姉さんがやたら(無意味に)愛想がいいことといい、関西的だった。
〉(バイト)係員の教育が悪いこと(杓子定規振りがすごい)では関西随一らしいですけれどね。
いや、これは関西一見者の感じたところで、
大阪は関東とくらべ、全般的に店員の愛想がずいぶんいい、それに幻惑されたのだと思います(笑)。
大阪的愛想基準に慣れれば、多分…
また大植がブルックナーを振るときに行きます(八番を東京公演でやってくれないかなあ)。
では。
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
Re*5:今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:910
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2004/07/20(火) 22:57:17
引用記事:907
908を改稿する必要も出たので枝葉はばっさり切って。
〉〉朝比奈隆の武骨で不器用な指揮とは正反対の華麗な響きで、安定感のあるクリアな感じといいますか。
〉〉ホール全体に包まれる様な音を出せる、
〉〉人格とホールが共鳴する指揮者はあとにもさきにも朝比奈隆ただ一人だったのだな、と。
〉もうああいう硬骨漢は出ないでしょうね。テクニックはないけど気持ちで聴き手の心をつかむ、
〉ってえタイプはメディアに珍重され=食いつぶされ、磨耗させられてしまう時代…なのかなあ。
指揮者ではもういないでしょう。もっと大括りな話大指揮者の時代はスヴェトラーノフの死去で終わり。
あと昨秋はヴァイオリンのイダ・ヘンデルのブルッフのヴァイオリン協奏曲を、
人格が楽器となる点で感動して聴いていたのですが、この人はまあ天才少女でしたし。
でも素晴らしかった。風雷雪嵐炎暑に堪えて毎年花を咲かせる凛とした一本の樹という感じでしたね。
…と書いていたら、その後にやってきた指揮者カルロス・クライバーの訃報に絶句。
私も信者ではないから家にディスクは1枚きり。映像もほとんど見たことないが、
伝説の指揮者というか幻の指揮者というか、とにかくそういう7つのヴェールに包まれた指揮者も
もうこれで終わりなのでしょうなぁ。
〉大阪シンフォニカーだとまた客層が全然違うんでしょうね。
主婦の細腕繁盛記という楽団のせいか、客層は大阪のご婦人方というところが多いですね。
〉〉〉 ホールはすごく(笑)小さい。東京文化会館並にデッドな残響。
〉〉デッド…かな。延々20年「残響2秒」を謳ってるホール(笑)なんですけれどね。
〉いや、これは満員だったからだと思います。人がいなければ残響二秒いくでしょう。
確か「満席時2秒」なんですよ(笑)。でも確かに最近デッド感が上がった気がします。
〉また大植がブルックナーを振るときに行きます(八番を東京公演でやってくれないかなあ)。
来年の3月にマーラーの6番を東京と筑波にも持って行くはずですよ。
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
Re*5:今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:952
投稿者名:鑑定士
投稿日時:2004/12/11(土) 01:50:40
引用記事:907
〉また大植がブルックナーを振るときに行きます(八番を東京公演でやってくれないかなあ)。
〉では。
関西のクラシックを語る上で必須のサイトがあります。そこからの情報。
大阪フィルハーモニー交響楽団2005/2006 定期演奏会のスケジュール超抜粋。
05.11.17(木)19:00 ザ・シンフォニーホール
05.11.18(金)19:00 ザ・シンフォニーホール
大阪フィルハモー一交響楽団 第393回定期演奏会
指揮/下野竜也 曲目:ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第2番 op.72a,モーツァルト/ピアノ協奏曲 第20番 二短調 K.466 (ピアノ/清水和音),ブルックナー/交響曲 第0番 二短調
06.2.16(木)19:00 ザ・シンフォニーホール
06.2.17(金)19:00 ザ・シンフォニーホール
大阪フィルハモー一交響楽団 第395回定期演奏会
指揮/大植英次 曲目:武満 徹/ノスタルジア(1987) (ヴァイオリン/長原幸太),ブルックナー/交響曲 第7番 ホ長調
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [↓この記事に返答][↓この記事を削除]
Re*6:今晩のラジオは、ブルックナーの第八交響曲だった。
記事番号:956
投稿者名:kita
投稿日時:2004/12/12(日) 21:10:09
引用記事:952
〉指揮/下野竜也 曲目:ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第2番 op.72a,モーツァルト/ピアノ協奏曲 第20番 二短調 K.466 (ピアノ/清水和音),ブルックナー/交響曲 第0番 二短調
うーむ。ゼロ番を聴きに大阪までいくのは…
〉指揮/大植英次 曲目:武満 徹/ノスタルジア(1987) (ヴァイオリン/長原幸太),ブルックナー/交響曲 第7番 ホ長調
7番は大植のスタイルに合っていそうです。これは行くかも。大フィルの武満も聴いてみたいです。
あ、3月の東京公演はチケットを取りました。バックステージ席の最後列。
最前列はホルンの真後ろだったりティンパニの真後ろだったりして音のバランスも何もないのですが
冷静に(笑)聴ける席が当たりました。
ついでに伊福部昭のCDについて。
多分、鑑定士さんがハマってるのはナクソスですね(笑)。
リズムをごんごん刻んで音楽を進めていくやりかたで、特に金管に勢いがあっていいです。
しかしパワーだけではなく、たとえばシンフォニア・タプカーラ3楽章の、オーボエが第2主題を
始めてからしばらくいったところ、フルートと弱音器をつけたトランペットの掛け合いは、
単純だけど引き込まれるものがある。
もうけものだったのはリトミカ・オスティナータ。
野っ原でオンオンオンオンずーっと叫んでいるような音楽で、でも単調にならず情も感じる。
伊福部の音楽は、どうやっても音にすることができない一種の念のようなものがあって、
録音でも実演でも満足することはあまりないのですが、このオケと指揮者なら、生で聴いてみたい。
ロシアと伊福部って、親和性があるのかしらん。
[ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿]