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タイトル:Re*2:岡野史佳大辞典『君の海へいこう』
投稿者 :kita
投稿日時:1999/09/05(日) 23:59:32
引用記事:808
えー、仕切り直しです。
引いた方、最後の部分だけ読んでください。要約して率直に書きました。
クラシックの作曲家にブルックナーという人とマーラーという人がいます。
どっちもやたら長い交響曲を書いた人ですが、
この2人に関しては好き嫌いがはっきり分かれるようです。
マーラーはあくまでも人間(内面と、人と人との関係)にこだわり続けて作曲したので
共感する人が多いのでしょう、安定した人気があります。
一方ブルックナーは神に近づくために作曲しつづけた、とされていますが、
キライな人は全然聞きませんし、「ブルックナーはただのバカだ」という
指揮者もいます。(結構演奏はされる)
長くなりましたが、
〉
〉「わかる」という体験は、とても難しいですが、特別な瞬間です。特別な瞬間をどう描けるか
〉どうか、というのは、「特別な瞬間を描く」ということでは、決して描けないものだと思いま
〉す。それよりも、その作品を通して、いかに特別な瞬間を励起できるか、という事のほうが大
〉事だと思うわけです。個人的に言えば、「フルーツ果汁」や「海育ちの風」にはそれがあった
〉けど、「きみの海」や「宙の約束」にはなかったなあ、と思うわけです。これはもちろん、何
〉を主とするかというものにもかかわっていて、つまり、「ストーリー」からはみ出たものをど
〉れだけ許容するのか、という事にもつながっています。
〉
そもそも「特別な瞬間」というものを励起させ得るのかどうか、というところから。
ブルックナーは神ではなく、「人間以外の、神につくられたすべてのもの」を見ていた人だと
私は思います。神じゃない、ってえのは、およそ宗教に縁のない、この私にも見える世界を
音で描いているからです。
近いのは、以前岡野さん掲示板にあった、「緑をみると、神様がいるって思う」
という世界です。(ごめんなさい、うろおぼえです)
ブルックナーの音楽がさっぱりわからん、という人がブルックナー好きより大勢いるということは、
・自分の内面を掘り下げてなにかを発見した瞬間
・人と人との関わりを(以下同文)
・人間と人間でないものとの関わりを(以下同文)
・(人間でないものの精神構造はよくわからないから掘り下げられない)
このうち3つめは、前2つに比べかなり限定された人間しか共有できない、ということではないのか?
というのが、前回私の書きたかったことのようです(自分で書いたくせに…)。
〉
〉マンガにおいて、読み手がコントロールするのは、画面からどういったイメージを
〉膨らませるか、という事だと思います。そこに、より多くの断片を重ねることが出
〉来れば出来るほど、より作品世界を豊かに感じられるというか。
〉
〉すべての要素が単にストーリーに回収できるだけのものでしかないとしたら、なんか、それは
〉ちょっと寂しいなあと思ったりします。今、市場に求められているものは、そういうものじゃ
〉ないような気がするけれど、読んでいてひっかかりを一つも感じられない作品には、単なる暇
〉つぶし以上の価値を見いだせないなあ。
〉
ここのところは同感ですが、上に書いた3番目の瞬間のイメージをとらえるのは、
私の経験では活字が一番です。マンガは絵が、コマ割りが、(時には)ストーリーが邪魔です。
イメージを再生するのは絵か写真です。映画だとなまじ動きがある分、風がない、においがない、
空気の湿度がない、温度がない、蚊やハエの羽音がない(笑)、といった不満が出てしまいます。
(思い出す前に画面が変わってしまう)
ただ、私の目からみても、「宙の約束」は中途半端です。影の主人公は叔父貴ですが、
彼の、人への未練を描きたいのか、人でないものへの憧憬と畏怖を描きたいのか、
サトリを開いた瞬間を描きたいのか、いまいちはっきりしません。そこがもどかしいし、
中途半端です。どれか一つに絞れば、もう少しはっきり描き込むことができたでしょう。
「君の海へ行こう2」も、ニコノスを構えた浦部の目尻を見りゃ、何を伝えたかったかは
わかる。でも、ストーリーを追う手を止めてクギヅケにさせるほどのインパクトがない。
時間をかけりゃわかるんだけど、頭で考えて「理解」するんじゃ共感まではいかんのだー!!
もっとこう、俺みたいなヒネクレおじさんもぐっとひきずりこむような、そんな一言、
そんなシーンを書いてくれー!オイば蹂躪しちくりー!
ページを開いた瞬間、”行ったことのあるどこか”に俺をはじき飛ばしてくれえ!
俺をもっかい”あの瞬間”に立たせてくれええ!
ああ、キレてしまった・・・なんかかなりアブナイけど、もう、いい(自棄)。
蹂躪といっても岡野先生女王化を望むものではありません。為念。
ここからは余談ですが、こないだコンサートに行って、
「記憶にさえ残っていない、感覚だけが心の底の底のほうに沈んでいるなにか」がサルベージ
される経験をしました。上の話に関係あるような、ないような(笑)。
タン・ドゥン『ウォーターパーカッションとオーケストラのための協奏曲』。
9月19日、21:30〜NHK−FM放送予定。
ラジオで集中し続けるのは至難の業ですが、気が向いたらどうぞ。音量は気持ち大き目で。
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