【 SALON★DE★FUMICA(岡野史佳BBS) 】 |
fumica.com - communication space |
[ボード一覧] [記事一覧]
記事削除パスワードの入力
削除する記事の内容:
タイトル:みんな引いてるだろうなあ
投稿者 :kita
投稿日時:1999/05/29(土) 02:17:59
引用記事:668
と思いつつ、また書く(笑)。
まあ、読んでくれればそれで十分、1行でも
「あれ?」と思ってくれたらしめたもの、という下心で、やります。
たてにょんさんの書いたことを
どのくらい理解しているか、力試しとして言い換えをしてみます。
音楽にたとえて話しますが、
まず、
作者------作品(演出)------読者
作曲家----作品(演奏家)----聴衆
としておきます。
モーツァルトを聴いて、たった2度だけ
もっとも”完全”に近い音楽だ、と思ったことがありますが、
その感覚を説明すればするほど、違っていってしまいます。
それでも、かろうじて手がかりを示すことはできますね。
私は「たとえ話」を意識してつかいます。
ひとつひとつは適切でなくても、集まればなんとかなるだろう・・・
なってほしいな。
サントリーホールのバックステージ席によくすわります。
オーケストラの後ろ、パイプオルガンの下なのですが、
すごい演奏だと、2000人の聴き手がグッと集中していくさまが
手に取るように見えます。
そんなとき、正面に見える聴衆の顔をみながら、たまに考えます。
「この人たちのおもい(だしていること)は、どんなだろう」
もし、皆の顔がブラウン管だったら・・・
2000のブラウン管に映る、2000の違った光景。
(この場所、この瞬間限りということを考えると
ゾクッとするのですが、それはおいといて)
ぜんぶ違う光景ですが、ひとつの「宇宙」にたいして
それぞれが抱いたイメージ(答え)、という意味では同じです。
この2000の光景をひとつづつ見ていく。
あるいは違う作品、違う演奏を聴いて
自分のなかに眠っている光景を掘り起こす。
それを続けていれば、あるいは作曲家に近づけるのではないか。
(光景、ってえ言葉は、記憶、という意味でつかってます)
作曲家はまた別のやりかたで、何かに近づこうとしています。
岡野さんは、いくつもの作品を使い、手をかえ品をかえしつこく追求する、
という姿勢ではなくなりましたね。
他者とのかかわわりに目を向けはじめると、必然的にそうなるでしょう。
(考えたいことが多すぎる)
ただ、自分についてかんがえる、という方向に戻る目はあるとおもいます。
たとえば、
『宙の約束』では「いったい死んだらどうなるのか」という疑問を
人間と人間でないものとのあいだのできごと、として書いていましたが、
時間をおいてふたたび考え、
「死」は好むと好まざるとにかかわらず、実に近しい存在だということを実感すれば、
また方向がかわるかもしれません。以前の岡野史佳では、もちろんありませんが。
[ボード一覧] [記事一覧]