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〉ども、たてにょんです。 〉 〉kitaさんの発言にひかれて、ちょっと考えてみました。 〉 〉〉 「演説でも物語でもなく、科学」 〉 〉この言葉はすごく正しいように思えます。でも僕は、岡野先生は 〉どちらかというと「観察者(真なるものは対象に宿り、人はそれ 〉を記述するのみ、という姿勢)」的というよりも「構築者(真な 〉るものは、モデルとシミュレーションの繰り返しによって近似で 〉きるが、それはあくまで近似でしかありえない)」的と感じてま 〉す。正確に言えば、感じてました、かな。93、4年以降の岡野 〉作品は、日記に書きましたように、根底にある姿勢の変化が感じ 〉られるからです。 〉 〉〉”人形をモノとは思えない” 〉〉はなはだ私事ですが、わたしは飛行機が機械に見えません。 〉〉松本零士のマンガでは、撃たれた飛行機は血を流しますが、 〉〉私はなぜ、それを自然なことと受け止められるのか? 〉〉知識を集めても結局傍証を積み上げるだけでした。 〉〉 <なぜ自分はそう感じてしまうのか> 〉〉という「不思議」を解き明かし、自分を「理解」するには 〉〉心のなかを探り続け、すこしづつ迫るしかないようです。 〉〉(その全貌は一生わからないんだろうけど) 〉 〉岡野先生は、こういうとき、「人形をモノとは思えない世界」 〉を構築した上でシミュレーションをかけているような気がしま 〉す。というか、(真剣に作られた)ファンタジーというもの自 〉体が、モデル=シミュレーション的な視点を持っている、とい 〉うほうが正しいかなぁ。「なぜファンタジーが現実的でありう 〉るのか?」の答えは、僕にとってはここらへんにあるかな、と 〉思っています。 〉 〉特に、少年宇宙は、そのものずばりです。「ライフゲイムの宇 〉宙(原題:THE RECURSIVE UNIVERSE)」(ウィリアム・パウン 〉ドストーン著・有澤誠訳・日本評論社)あたりが、この作品の 〉理論的な基盤に成り得ます。 〉 〉私は、一つの空想物語が、(数学的に厳密な)理論的な基盤を 〉持ちうるという可能性に驚愕しました。ある意味、その驚きは 〉僕がいまサイトを運営している動機の(非常に大きな)一つで 〉す。 〉 〉〉”イルカと泳ぐ” 〉〉彼らはまったく別の世界に生きています。 〉〉人間には彼らの世界は体験できません。推測するだけです。 〉〉でも。 〉〉言葉が通じない、人間には分からない世界にいる「はず」の彼らと 〉〉意志を交わす瞬間があります。 〉〉何者かからソロモンの指環が与えられた一瞬。 〉〉理性が支配する筈の世界に現れる、理性を超えた事象。 〉〉自分の内なる世界の不思議、 〉〉ふたつの世界の間にある不思議。 〉 〉「通じてしまう」ということを内面化した作品が「瞳の中の 〉王国」でしょうね。私にはそう感じられる、という視点で一 〉貫してます。それに対して「君の海」では、より大きなもの 〉の存在が仮定されている。 〉 〉推測可能性というのは、理論的な枠組みを人間が構築しうる 〉場合に与えられています。よって、この枠組みを維持してい 〉る以上、自我は常に世界の上部にあると言っていいでしょう。 〉これが、ある時期までの岡野作品の一貫したスタンスだとす 〉ると、ある時期以降の作品は、自我を超えるものとしての世 〉界を描く、というスタンスに移行してきたと見ることも可能 〉でしょう。 〉 〉〉みずから進んでそれに近づくには? 〉〉岡野さんはその手段として「観察」を選んだ、と思います。 〉〉みえない指環に手を伸ばし、触れ、あらたな世界=宇宙をみるために。 〉〉自分のなかの不思議を解き明かす作業が「哲学」ならば、 〉〉『少年宇宙』シリーズは、哲学している、といえるでしょう。 〉〉最近は動物行動学のようなアプローチをしているように見えますが、 〉〉どちらにしろ、観察から考察へ、という手法は変わっていません。 〉 〉たとえば、「君の海」は、「瞳の中」に比しても、「観察」で 〉成り立っているように思います。世界のミニチュアを作ること 〉をやめ(=ああ、それは「少年宇宙」においてフレアマン博士 〉が小宇宙を作る行為として直接的に描かれていたことであり、 〉と同時に「瞳の中」では水族館というメタファで示されていた 〉ことであります!)、世界(=つまり「君の海」における「海」 〉です)を描くことに比重を移したとも言えます。「ひとのつく 〉るうみ、と、宇宙、の等価性」の探究をやめ、世界の示すもの 〉を読み取ろうという姿勢へのシフト。 〉 〉が、それが良かったかどうかは、まだなんとも言えません。 〉 〉なぜなら、私たちには、どのような解釈も許されているからで 〉す(特に、制約を持たない物語においてはそう)。感じてしま 〉うことの、「感じてしまう」ことは既に、私たちの中にありま 〉す。私たちは、世界をただ自分の(根拠を持たない)直感を通 〉してのみ認識することができます。しかし、感じたものは常に、 〉感じたまま記述することは出来ません。感じたままを描こうと 〉すればするほど、それ自体が罠のようなものになってしまうわ 〉けです。わたしたちは、わたしたちの中に、制約力を持った構 〉造(たとえば、数学)を持たなければ、表現されたものの正し 〉さを語ることが出来ないのです。(そして、その制約自体がま 〉た一つの大きな世界を形作るし、宇宙になりうる、ということ 〉が、前出の「ライフゲイムの宇宙」に語られています) 〉 〉だから、わたしたちは、自然が語りかけてくるものを、「ひと 〉のつくるうみは、宇宙になれるのか?」という問いを通してし 〉か、考えることが出来ないのかもしれません。 〉 〉それゆえに、私は、「瞳の中」の1巻に、今だに、未完ではあ 〉りますがそれ故に魅力的な思考の断片を見出すことが出来ます。 〉それは今現在、放棄された断片かもしれませんが、進むべき道 〉を示しているのはむしろ、そこにあるのかもしれません。 〉 〉もちろん、そうではないのかもしれません。僕は「そうではな 〉い可能性は何だったのか」を知るために、今の岡野作品を読ん 〉でいます。そして、それが最近、少しだけ「何だったのか」わ 〉かりつつあるような気がします(これも日記に書いたな)。 〉 〉〉お目汚し、失礼しました。 〉 〉なんか、こうやって他の人の考察を読ませてもらうという 〉のは、新鮮です(笑)いつも、どうせこんな事を考えてい 〉るのは自分だけだろーなーと思っていたので(^^; 〉 〉んで、また今回も、舌足らずのぐちゃぐちゃのわけわかん 〉ない文章が出来あがってしまいました。でも、別に難しい 〉ことを言いたいわけじゃなくて、岡野作品の中に秘められ 〉た、とびっきりの鮮烈な視点を切り出したいだけなんです 〉よね。もちっと自分に筆力があれば、岡野作品を貫きとお 〉すものを描きだすことが出来るのかもしれないけど・・・。 〉 〉といったところで、それでは。
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