【 SALON★DE★FUMICA(岡野史佳BBS) 】 |
fumica.com - communication space |
[前の記事] [次の記事] [ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [この記事に返答] [削除]
岡野史佳大辞典『君の海へいこう』
記事番号:794
投稿者名:kita
投稿日時:1999/08/24(火) 01:11:42
kitaです。
たてにょんさんの書いたものを勝手に抜粋しますと、
…確かに大自然で体験してしまって「わかってしまう」ことはあると思うのだけど、
その体験の大きさに比べて伝えたいという「描写」が釣り合っているかというと、
まだ体験にひきずられているのかなと思います。お話にするためには、一度、徹底的に
解体しないと、人に伝わる形にはなりにくいので…
「だから読み手が補ってやらないといけない」などと実のないことは言わなくて
(それができないから苦労してるんで、大体、簡単にそんなことができるのなら、
地球上にこんなにうじゃうじゃ人間が存在する必要もない)、別のことを考えていました。
おそらく岡野さんが見たのと重なるシーンが昔NHK「いきもの地球紀行 岩合光昭
ハワイでクジラを撮るの巻」で流れましたが、時間は3秒もないです。
私の鳥での経験もそんなものです。これくらいの時間でなにができるかというと、
はっとして、どきっとして、呆然とする、くらいです。映画でもそうです。
写真や絵画では、もう少しつっこんだ探り方ができますが、やっぱりこれは
”止まっていて(切り取られた時間)、勝手に消えてしまわない”からなのでしょう。
そう思って『海育ちの風』見開きと『きみの海へいこう』クジラの部分を比べてみると、
後者は流れの一部として描いてるから、どうしても前後を続けて読んでしまうのですね。
まあこれは単にテクニックの問題なのかもしれませんが、私は「わかってしまった」という体験を
漫画にするのは難しいんじゃないかと思ってます(音楽を漫画にするのが難しいのと同様)。
ストーリーがある以上、読み手は描き手の設定した時間(テンポ)に乗って読み進むわけで、
その時間の流れを読み手が強引にコントロールするのは…やってもあまり得るものはないでしょう。
どちらかといえば、これは絵画や写真が得意とする領分だと思います。
(漫画でやってもいいけど、それはもはや普通の絵とかわらないと思う。そうなると
ストーリーが果たして必要なのか、疑問。)
たとえば、『宙の約束』風見駿次については、漫画をベースにするのではなく、
まず星野道夫の写真を思い浮かべてから読みかえしていました。
この人の写真を「孤絶感」と評した人がいましたが、風見駿次にもそれに通じるものがあるからです。
それではこの手の話は永久にわからないかというと、そういうこともないです。
締め切りのない宿題だと思って、いつも頭の隅に疑問として置いとけば、いつかめっかるもんです。
まあでも、岡野さんにはもっと工夫してもらって、再挑戦してもらいたいですね。
読み返すと…うーん、いまいちピンボケです。でもいい。もう眠いし(笑)。
[前の記事] [次の記事] [ボード一覧] [記事一覧] [新しく投稿] [この記事に返答] [削除]