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『天花の契り』読後感
記事番号:2926
投稿者名:kita
投稿日時:2005/01/28(金) 23:42:37
kitaです。概ねまとまったのでちょっと書きます。
この作品は、いわゆるパロディ本の一編という扱いです。
しかし、この作品は同じ本にまとめられた他の作品とは、すこし異質な趣があります。
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ところで。
私はパロディというとまず、吾妻ひでお『不条理日記』を思い出します。
不幸にも本編と『マンガ奇想天外』の解題をほぼ同時に読んでしまいましたが…
パロディの定義はいろいろあるようですが、笑いの要素を除くと
・もじり・見立て
・原作の特徴を誇張・省略し、原作を越える新しい世界を創り出すこと
こんなところに落ち着くようです。
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※あらかじめおことわり
パロディの価値が低い、という趣旨ではなく、岡野史佳にパロディとそれ以外のどちらを描いて
欲しいか、という視点で以下書いています。
読者がエピソードを知っており、しかもアンソロジーという点で、着想と展開の工夫が作者の腕の
見せどころなのかもしれません。その意味で読み比べは非常に面白かったのですが、私の性に合う
のは、やはり『天花の契り』でした。
運命の出会い、という着想は『オリジナル・シン』でも見られたので特に目新しさはありませんが
…岡野史佳の好むエピソード=運命の出会い、という図式が私の中で成立しています…
それを彩る登場人物の台詞が読後、残ります。
己があるべき場所、という視点がストーリー全体に根拠を与えています。
彼にとっては「やる」場所、彼女にとっては「いる」場所。
目標を実現させるための場所、その目標を支えるための場所。
その違いが鮮明に描かれている点は典型的な少女漫画ですし、今回も岡野史佳が描く「その場所に
到達したい」という情念は深く濃密なものですが、同時にある種の清冽さも感じます。
互い違う道を辿るが、最終的には一つの「場所」に向かって進むことができているという信頼、
しかし時としてよぎる不安、それゆえにいや増すひたむきさ。
それらを(作者から与えられたものではなく)読み手が自らの内に構築しなおすことで生まれる
「純粋な感情」に、この清冽さは源を発しているのかもしれません。
これを導く道具立てとして、「己があるべき場所」という視点は、非常に効果を上げています
(特にひたむきさを強調する点で)。
モノローグのほとんど全てが彼への語りかけという形であることで、
彼の傍が彼女にとっての「あるべき場所」であることを、
読み手はごく自然な形で刷り込まれていきます。
この形が通奏低音のように全編を通して繰り返されることで、この作品は単なるパロディ…
・設定を追加することで周知のエピソードの一部を強調する
・それに伴い複数のエピソードを再編成する
・しかし結末は、必ず、底本が明示する範囲内での予定調和となる
…に留まることを免れています。
こう言い換えてもいいでしょう。
底本を知らないとあいまいな笑いしか得られない作品が『不条理日記』ならば、
『天花の契り』は登場人物に関する知識がなくとも成立する作品です。
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物語を読み終えた後、読み手は登場人物と共に、その後の世界を歩いてゆくことになります。
それ故、この作品は決して、「既知の物語の変奏」で終わることはありません。
後日談は断片にすぎない。登場人物の真の心は伝記が略した部分にこそ在る。
そう言い直したほうがいいのかもしれません。
※これは他の作品もそうなので一概に格差をつけることはできませんし、線引きもできませんが、
“普遍”というものさし=底本エピソード引用の度合い で測り、比較することは可能でしょう。
登場人物を、
(知らない人がほとんどでしょうから適切な例ではないですが、例えばあたかも)
イッセー尾形のパントマイムを見て嘲うが如くに客観視するのではなく、
あたかも「この自分が」イッセー尾形のパントマイムの(いい例えではないですが)
ネタにされている、と感じつつ観ることができるか、
という点に絞れば、
作者が加えた「運命の出会い」というエピソードは、極言すれば無くてもよいのです。
これらは、登場人物の心の動きを増幅して読者に伝えるための道具立てです。
(ついでに言えば義経と静という基本設定も同じ役割です。知識があれば増幅度は大きくなります)
しかし、彼への語りかけの形を取ったモノローグ、これは、この作品を単なるパロディに留めない
作品として成立させるためには不可欠の要素です。
これが欠ければ、読者の深い共感を得ることはかなり難しくなるでしょう。
※蛇足ですがもういちどおことわり
岡野史佳にパロディとそれ以外のどちらを描いて欲しいか、という視点で書いています。
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彼の傍が彼女にとっての「あるべき場所」。
これは、おそらく時間と空間を超えても変わらぬ真実ですし、それがこの作品の主題です。
そのために何を付加し、どのように配置したのか。その感性と構成力は、この一冊に編まれた
他の作品と読み比べることで明確になるでしょう。
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Re:『天花の契り』読後感
記事番号:2927
投稿者名:磯津千由紀
投稿日時:2005/01/29(土) 13:12:44
引用記事:2926
『パロディ』というと、辞書ではともかく、現実には
原作を茶化したものという印象があります。
ですから私は、『パスティーシュ』と呼んでおります。
ところで、私の入手が遅れたのは、『義経伝』を注文す
るべきところ、誤って『義経記』を注文したから(笑)。
# メールアドレス変えました
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